寝ながら学べる構造主義

寝ながら学べる構造主義 ((文春新書))
寝ながら学べる構造主義 / 内田樹
東京 : 文藝春秋, 2002
208p ; 18cm. - (文春新書 ; 251)
引用文献: pp.203-207
ISBN4-16-660251-9
ほんとに寝ながら読みました。クリップランプばんざい。ほんとはレポートとか年賀状とか、書かなきゃいけないものがあるのですが。
私は読むのが遅い方だと思いますが、2時間強で読めました。その速さで読めてしまうくらい、記述がやさしいのです。内容はやさしくはありませんが、語り口でついついつい分かった気になります。話の進め方とか例え話とかが実にいいです。
構造主義とは、ひとことで言えば、

私たちはつねにある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私たちのものの見方、感じ方、考え方を基本的なところで決定している。だから、私たちは自分が思っているほど、自由に、あるいは主体的にものを見ているわけではない。
(本書p.25)

ということだそうです。そりゃそうだろう、と思うのですが、実はこういう考え方が常識になったのは構造主義が出てきた後のことであって、まだほんの40年ほどしか経っていないのだそうです。これには驚きました。それ以前はじゃあ何だったのかというと、はっきりとは書かれていないのであくまで私の想像ですが、ものごとの正しい姿が見える立場(中立な、全能な、科学的な、etc.)が存在すると思われていたのでしょうか。本書p.144にある、マルクス主義の「鉄の法則性」などがそれに当たるのかもしれません。その種の考え方は今でもある程度残っているような気もしますが…。
フーコーについての説明は、同じような文章をどこかで読んだような気がするなぁと思っていたら、鶴見済の『檻の中のダンス』(ISBN:4872334019)でした。そういやクイックジャパンだか文藝だか(要はあの版型のあの系統の雑誌ですよ)のインタビューで、卒論でフーコーをやってたって言ってましたね。